家族日記

海辺に住みたいロマンチストの主人、とろ。堅実に生きたいお嫁、まあこ。天真爛漫ベイビー、娘のしーこが、すい臓、腎臓、肺に病気がみつかった犬のケンプーと共に寄り添い奮闘するも、2019年6月28日に永眠。旅行、アウトドア、釣り、キャンプ、BBQ、DIYなんかをやりながらなんとか家族で立ち直っていくブログです。

でない

上の子が3歳になりこの前七五三が終わった。

 

 

貸衣装屋で七五三様の着物を着て、お化粧をして、髪飾りを付けてルンルンの娘。

 

 

神社に行って一通りの儀式を済ませる。

 

 

とすんなり行ってくれると大変ありがたいが、祝詞(のりと)を奏上してもらっている間にはもうグズグズ。

 

 

いつもならこの時間はお昼寝の時間なので機嫌が最高潮に悪くなる。

 

 

そのタイミングでじっとしてありがたい祝詞を聞いているわけもない。

 

 

まだ言葉が完全に出てきているわけではないが、自分でやって欲しいことを言って親がやっても、本人が本当にやって欲しいこととの差異があるようで、そんな乖離感にさらに腹を立てる負のスパイラルが寝るまで続く。

 

 

そして大泣きしながら無理矢理写真を撮って、控え室に移動する。

 

 

さっき撮った写真の現像待ちだそうだ。

 

 

大泣きしてぐちゃぐちゃになった娘の写真をまっている間も、娘の機嫌はリアルタイムで悪くなって行く。

 

 

そんな時間に焦燥感を持ちながら待っていると娘が「トイレに行きたい」と言う。

 

 

娘は只今絶賛トイレトレーニング中。

 

 

機嫌が良くて興味がトイレに向いたら、家にあるおまるや補助器具付きのトイレで用が足せるくらいの成功率だ。

 

 

無論オムツは装着中だ。

 

 

そんな状況下、着物を着て、オムツを履いた娘を補助器具もないトイレで用を足させないといけないと思うと、途方もない徒労感に駆られた。

 

 

私と言う名の大人は「オムツしてるからここでチーしても大丈夫だよ」とか「おうちのおまるでしてみようか」などと諭してみるものの、娘は「今すぐにトイレにいく」の一点張り。

 

 

これはどうしたものか。

 

 

このめんどくさい状況を打破するにはどうすればいいのか。

 

 

そこでハッとした。

 

 

自分はなんてつまらない大人になってしまったのだろうと。

 

 

自分が子供の頃、やりたいのにやらせてもらえないことがあった。

 

 

あの時の思いから子供ができたらなるべくそんな思いをさせたくないと薄ぼんやりと思っていた。

 

 

今こそ着物を着た娘を連れてトイレに行くべきではないか。

 

 

・・・とまでは全然思っていないけど、トイレに連れて行かないと引っ込みがつかなくなっているなーと諦め、渋々連れて行きました。

 

 

ちょっと急な階段をくだり、狭めのトイレに入り着物が汚れないようにうまく避け、トイレに座らせる。

 

 

「でたー?」と私が聞くと、

 

 

「でない。。」と申し訳なさそうな半笑いで娘が答えた。

 

 

その表情から、

 

 

(あれだけ大騒ぎして、この大変な状況でトイレに連れて来てくれて大変申し訳ないんだけど)「でない。。」

 

 

のようなニュアンスに読み取れたような気がして思わず私は大笑いしてしまった。

 

 

親の苦労子知らず。なんて言葉があるように、当然娘も親の苦労など知らずに好きなように生きている。

 

 

娘がこっちの苦労を申し訳なく感じたのか、ただ単にトイレを失敗したときの感情なのかはわからないが、ときおりこういう面白い表情をする娘に笑わされている。